教育の劣化
本日は、少し真面目な記事を書きたいと思います。
タイトルにもあります通り、「教育の劣化」が進み、文科省は本当に子どものことを考えて、カリキュラムや対策を講じているのか不明な毎日が続いています。
そんな中、つい先日気になる記事を読みました。
日経ビジネスに投稿されていたこの記事です。
大人が必死になって、小学算数から学び直す、いわゆる「大人塾」が、受講する生徒が後を絶たない。受講する生徒といっても、全員大人。一企業の会社員が、自分のプライベートの時間を算数や数学に費やす。そこまでしないと、会社で必要となる資格取得や、通常業務に支障がでてしまう為である。
昔は、日本の教育システムといえば、世界から絶賛されたものでした。
何故なら、義務教育というシステムが、国民にあまねく全人的な教育を受けることが出来るという、経済格差に関係の無いシステムとして、教育として、素晴らしいものでした。
しかし、昨今、そのシステムは崩壊を見せている。
なぜなら、世にいう超天才と呼ばれる人材育成には弱いシステムだとしても、社会に出た際に必要最低限の知識を多くの人材に植えつけるという面では、世界でもトップクラスだったと思っていた。だが、この大人塾に通う大人のように、小学校算数を学び直す姿をみると、このシステムが根底から覆されたものだという記事の内容を理解するに、想像に難くない。特に、記事の最後のページに記載されている文言は想像を絶するショッキングなワードだった。
『日本の社会は天才が生まれないことよりも、普通の人材の不足に困っている』
この文言は、自分に取ってかなりのパワーワードだった。
因みに、社会が求める普通の人材とは
仕事に最低限必要な「読解力」を持つ人材
仕事に最低限必要な「数的思考力」を持つ人材
仕事に最低限必要な「IT活用力」を持つ人材
この3つを兼ね備えた人材のことを言う。
これらの3つの条件を見て、私が個人的に思ったことは1つ。
『英語のスキルは求められていない』ということである。
これだけ、小学校から英語教育の義務化、大学受験における4技能を重視するなどと、
文科省が並べた教育カリキュラムが、社会が求める普通の人材に求めているスキルでは無いということが、表面上の教育しか見ていないお役所仕事感が否めない部分である。
教室長のやまちゃんとも良く話をするのだが、英語を学ぶよりも、国語を学ぶべきである。正直、英語が読める書ける話せる聞けるなどという能力は、あったら便利かもしれないし、子どもの選択の幅が広がるとは思います。しかし、ほとんどの人達が将来英語に触れることなど無く過ごすのでは無いでしょうか。会社に入っても外資や海外物流でもない限り、基本的に英語の書類を読み、理解して英語で文章を書くなどということはしないでしょう。それよりも、ほとんどの人が日本語で書かれた上司から送られてくるメールや取引先から送られてくるメールを読み、読解して、行動に移すのではないでしょうか。
読解力が低い人間にメールを読ませても、上司や取引先が意図したこととは違う内容で受け取られてしまったら、一歩間違えば大損害、その人自身の解雇で済めば御の字で、会社ごと無くなるなんてことだってありえます。(実際、そんな大切な業務を読解力の低い人間に頼むことは、現状どの会社でもないでしょうが、普通の人材不足と呼ばれる現代では、今後起こりうることでしょう)
要するに、上司からの指示を効率よくこなしてくれる普通の人材が不足しているということです。(記事にも書いてありますが) 効率よくこなすということは、数的思考力が必要となります。数学的思考の低い人間に仕事を任せても意味がありません。
新人に経験を積ませる程度の仕事ならば問題ないですが、もっと社会は目まぐるしく子どもたちが考えている速度とは違う速さで動いているのが現状です。
保護者の皆様ならご理解いただけると思います。
『学生の頃、もっと勉強しておけば良かったと、本当にそう思う」と。
そうならない為にも、自分の為に、自分の未来の為に、基礎的な学力をつけ、
社会で働ける人材になりましょう。
☆海鋒のつぶやき☆ ⑫ 完
タイトルにもあります通り、「教育の劣化」が進み、文科省は本当に子どものことを考えて、カリキュラムや対策を講じているのか不明な毎日が続いています。
そんな中、つい先日気になる記事を読みました。
日経ビジネスに投稿されていたこの記事です。
大人が必死になって、小学算数から学び直す、いわゆる「大人塾」が、受講する生徒が後を絶たない。受講する生徒といっても、全員大人。一企業の会社員が、自分のプライベートの時間を算数や数学に費やす。そこまでしないと、会社で必要となる資格取得や、通常業務に支障がでてしまう為である。
昔は、日本の教育システムといえば、世界から絶賛されたものでした。
何故なら、義務教育というシステムが、国民にあまねく全人的な教育を受けることが出来るという、経済格差に関係の無いシステムとして、教育として、素晴らしいものでした。
しかし、昨今、そのシステムは崩壊を見せている。
なぜなら、世にいう超天才と呼ばれる人材育成には弱いシステムだとしても、社会に出た際に必要最低限の知識を多くの人材に植えつけるという面では、世界でもトップクラスだったと思っていた。だが、この大人塾に通う大人のように、小学校算数を学び直す姿をみると、このシステムが根底から覆されたものだという記事の内容を理解するに、想像に難くない。特に、記事の最後のページに記載されている文言は想像を絶するショッキングなワードだった。
『日本の社会は天才が生まれないことよりも、普通の人材の不足に困っている』
この文言は、自分に取ってかなりのパワーワードだった。
因みに、社会が求める普通の人材とは
仕事に最低限必要な「読解力」を持つ人材
仕事に最低限必要な「数的思考力」を持つ人材
仕事に最低限必要な「IT活用力」を持つ人材
この3つを兼ね備えた人材のことを言う。
これらの3つの条件を見て、私が個人的に思ったことは1つ。
『英語のスキルは求められていない』ということである。
これだけ、小学校から英語教育の義務化、大学受験における4技能を重視するなどと、
文科省が並べた教育カリキュラムが、社会が求める普通の人材に求めているスキルでは無いということが、表面上の教育しか見ていないお役所仕事感が否めない部分である。
教室長のやまちゃんとも良く話をするのだが、英語を学ぶよりも、国語を学ぶべきである。正直、英語が読める書ける話せる聞けるなどという能力は、あったら便利かもしれないし、子どもの選択の幅が広がるとは思います。しかし、ほとんどの人達が将来英語に触れることなど無く過ごすのでは無いでしょうか。会社に入っても外資や海外物流でもない限り、基本的に英語の書類を読み、理解して英語で文章を書くなどということはしないでしょう。それよりも、ほとんどの人が日本語で書かれた上司から送られてくるメールや取引先から送られてくるメールを読み、読解して、行動に移すのではないでしょうか。
読解力が低い人間にメールを読ませても、上司や取引先が意図したこととは違う内容で受け取られてしまったら、一歩間違えば大損害、その人自身の解雇で済めば御の字で、会社ごと無くなるなんてことだってありえます。(実際、そんな大切な業務を読解力の低い人間に頼むことは、現状どの会社でもないでしょうが、普通の人材不足と呼ばれる現代では、今後起こりうることでしょう)
要するに、上司からの指示を効率よくこなしてくれる普通の人材が不足しているということです。(記事にも書いてありますが) 効率よくこなすということは、数的思考力が必要となります。数学的思考の低い人間に仕事を任せても意味がありません。
新人に経験を積ませる程度の仕事ならば問題ないですが、もっと社会は目まぐるしく子どもたちが考えている速度とは違う速さで動いているのが現状です。
保護者の皆様ならご理解いただけると思います。
『学生の頃、もっと勉強しておけば良かったと、本当にそう思う」と。
そうならない為にも、自分の為に、自分の未来の為に、基礎的な学力をつけ、
社会で働ける人材になりましょう。
☆海鋒のつぶやき☆ ⑫ 完
コメント
コメントを投稿